2011年7月11日月曜日

7/11

ARC>T事務局の一人千田みかささんと塩釜から野蒜の海岸線へ行ってきた。
私は県北内陸に住んでいて震災から海側に行くのはこれが初めて。
一人で行くのは怖いので、地元のみかささんにご同行願った次第。

塩釜は古い建物が数件崩れてはいたが、ずいぶん整えられた印象。
野蒜に入る前、枯れた松に気をとられ、ブレーキのタイミングが遅れそうに…
野蒜に入ると一変して人がいない。
外壁の残っている家は割と多いと思ったが、残留物もまだまだ積みあがっている。。
信号も所々止まっている。
JR野蒜駅は閉鎖されている。(移転予定とのこと)

二人とも後の予定があったので、車を降りることはせず。
カメラも鞄に入っていたが、私自身震災後から家、仕事の復帰にまだばたばたの状態で
降りて写真をとる気持ちの余裕はなかった。

道中ARC>Tの活動状況や二人の共通のダンス仲間の近況など話しつつ
私は舞台準備の資料閲覧為に、みかささんはARC>T事務局会議の為10-BOXへ。

希望の資料は前は事務局の棚にあった記憶だったのだが、
お隣のぞみ苑さん二階に段ボールに積み上がっている中から
10-BOX職員さんと二人で探した。
体育館のようなBOXの部屋の一つは、耐震状態が不安なので
貸出はせず倉庫として使っているそうだ。
避難所に届けたいと集めた絵本の段ボール箱が積み上げられていた。
box-2は現在ARC>T事務局となっているが誰でも出入り自由だそうだ。

さて今は次の日の朝。
TVをつけ見れなくて撮りためた映像をチェックしながら
昨日11日の祈りをと悲愴を聴く。
でもいくら名曲でもいくら名演でもそれは聞き流れてしまう。

仙台フィルの復興コンサートにも一度足を運んだが、
そのG線上のアリアは何度も聴いた曲であっても
本物の弦の音は聴衆を共振させて心に響くのである。

震災当時出張先の主人が電話の向こうで「一目状況を見たいんだ」
と言っていたことと昨日の事が重なって涙が出た。
地震後初めて出た涙だった。

矢野文子

0 件のコメント:

コメントを投稿