2012年1月31日火曜日

岡山に行ってきました。

三月に招聘のお話があり、OtoOpresentsを中心に参加者を募り、
ワークショップと、東京板橋区演劇フリースペースサブテレニアンでも
二月に行われる「結~他愛ない話のオムニバス~」を上演することになりました。
その打ち合わせ、下見でした。

新幹線に揺られること、何時間?
その間、台本と、直前に行われた公演のアンケートを読み込み、
メンバーにこうだよああだよ、次の稽古はこの日だよとメールをバシバシ、
ケータイで打っていました。まだまだ紙を多用する白鳥は、
ノートパソコンを買えないのでしょうか?
岡山で上演するかもしれない、台本の元になる短編台本も読み下し、
一睡もせずにまずは東京まで。

打ち合わせには、事務局長鈴木拓くんも乗り込み、東京駅で彼と合流してからは、
今度は、岡山についての事前の打ち合わせ、摺り合わせなどで、
今度はずっとお喋りをしていました。
途中、それぞれの仕事に向かった時には、また、ケータイでメール。
デジタル機器を使いこなす彼の横で僕は、紙の台本とケータイでメール。
だってなあ…仕方ないよこればっかりは(笑)
向こうは仕事ができそうですな~ ははは。

向こうに着いたら、路面電車が走ってる!?
そうか、何の下調べもしてなかった、今夜呑むところはあるだろうか? 
何を食べたらいいのだろう? 




















天神山文化プラザ。タクシーで10分も掛からない距離にありました。
建物は、50年前に建ったと聞きました。
モニュメントがあったり、展示室が多くあったりと建物の感じから、
宮城県美術館を思い出しました。

打ち合わせは、あちらの担当者と、本番当日にトークにも参加するという方、
新聞記者の方もいました。あちらとのすりあわせの後、打ち合わせ、
今まで宙に浮いていたことが次々と決まっていきます。
その後、新聞記者のするどい質問。
するどいっていうか、答えにくい質問をしてきます。
「もう一度何を聞いてるか聞いてもいいですか…?」と、恰好付かない白鳥。
でも、間違って変なこと伝わってほしくないので、少し慎重になります。
距離があり、言葉を介し、コミュニケーション、やっと顔を見て話始めて、
また誤解なんてことになったら、目も当てられません。
それでもかろうじて伝えられたのは、結局、個人がつながりたいということです。
震災がありました。自分の被災はほとんでありません。仕事がなくなりました。
極被災地に支援や仕事で行きました。
その時感じたこと、見るもの聞くこと、普段では気付かなかったこと、
それらから、「結~他愛ない話のオムニバス~」の台本を書き、
上演し、東京でもやらせてもらうことになり、こちらにも来ますと…。

打ち合わせの最後のあたり、自分は「これからのみの席なんて…」
社会人としてはわりかし、ストレートに話したようですね。
鈴木はまだ打ち合わせがありましたが、自分は部屋で待っていました。
また台本を開きながら、そこで出会う人や話される話題、お酒…。
そんなことを浮かべていました。

そこは、担当者が忘年会で行った場所。地元の人しかしらないような場所。
嬉しいです。そこで、先ほどの同じ面子で呑んで話すんですけど、
自分なんかは、やたら打ち解けて饒舌です。店主の奥さんがダンサーで、
途中から参加したんですが少し呑むと「一緒に出ましょう! 出てください」と、
誘っていました。いや、どの部分でどう出るか、しっかり考えてたわけじゃないんですが、なんか一緒にやりたいと思ったんです。
お酒も美味しかったし、話も面白かったので…。
すみません。呑みに行ったみたいですねこれじゃ…。























次の朝、後楽園という場所を案内してもらい散歩しました。
岡山城があり、そのお殿様の庭だったそうです。
手入れが行き届いていて、温かい清潔な空気。黄色い「ろうばい」が咲いていました。
仙台で言えば、五月頃の感じでした。冬の一日、春に迷い込んだようでした。




















帰りはひとりだったので、今度は眠くて眠くて…。
台本を開き、読み始めると眠り、またケータイで東京へのお知らせをしたり、
富士山が見えてきたので、撮ったり…。




















帰り着き、次の日には、どう踊ってもらうか決まりました。
岡山に向け、一本書き下ろします。その演目の中で一曲踊ってもらうつもりです。
フェイスブックで友達にもなりました。
交流の第一歩として上々ではないでしょうか…? 

三月に岡山で、「結~他愛ない話のオムニバス~」させていただきます。
東京では、これまでのほとんどの演目が観られます。
岡山では、もう一本書き下ろし、上演します。

宮城から400名ほど岡山にいらしているそうです。
その方たちにもご招待を出していただけるようです。
岡山の皆さんと少しでも交流し、観ていただき、アルクトのこと、宮城のこと、
ここでのアート、演劇のこと興味を持っていただけたり、足を運んでもらえたりするよう、
自分たちなりにやってみたいと思います。

OtoOpresents 白鳥英一

2012年1月29日日曜日

1/27 多夢多夢舎「美術のじかん」

1月27日。雪の仙台。
多夢多夢「美術のじかん」にタムラミキさん、高橋彩さんと一緒に行ってきました。

窓の外は真っ白な世界。
温かい室内では、各人、お気に入りの素材・画材で、
思い思いのカラフルな世界を楽しみました。


チューブの中の絵具の音を聞きながら画用紙に色をのせる人。
春色の色紙を雪のようにちぎる人。
真っ白い画用紙に白の絵具で雪だるまを描く人。
来月のバレンタインデーに備え、大きなハートを描く人。
愛の告白をしたためた紙飛行機をつくる人。

人柄が現れます(笑)。

ゆったりした時間が流れていました。


大沢佐智子

2012年1月24日火曜日

牡鹿半島・日常のシェアと雑記

(引き続きスマイルエンジンの報告です)
牡鹿半島の作業の後、「若者」をテーマにディスカッションしました。
私の班は、たまたま40歳、30歳、20代の学生で構成され、
各々の立場から見る「若者」、「若者」を通してみる社会について
語り合いました。

40歳の方は、「今時の若者は〜」と言う者もいるけれど
年齢世代で断ずることはないが、
若者は「のびしろ」「残された時間」「選択肢」、自由を持っている。
そして
変化への適応と時間がある、と
震災で私たちは変化を余儀なくされている
その変化に、流動的に適応していけるのは若者である。
との意見でした。

20歳の学生は逆に大人は経験値があるので自由にやりたいことができる
といいました。
また、学生は社会がどういうものか認識が足りないような気がするとも


学校、サークル、会社、、、と自分がいるグループの中で
社会は成り立ち、その土壌で考えていきやすいのだけれど、
自分が住み生きる社会はもっと大きな枠の中で、いや、そもそも枠はなくて
つい作りがちな枠を越えて、それぞれ自由や経験値を持って
出会い一緒に考えることができるといい

それがコミュニティ作りになるのではないかと

スマイルエンジンではそういう場ができているように思いました。



9ヶ月前と比べ大幅に減っているフィジカルなボランティア
かつて住んだ土地は、居住することもできず、かといって行政が
買い上げてくれるわけではありません

一年が経とうとする中、増えていく「3.11」「震災復興」という名の企画
ブランド化していく被災地名

テレビやインターネットの情報だけでは知ることができない状況、
自分の足で見ることが確かな現実だと思います

活動の動の中にいて見えることがたくさんあります


川村智美

2012年1月23日月曜日

牡鹿半島・日常の10%を交換する



















(私の個人的な活動の報告です)
1月21日、「スマイルエンジン山形」に参加した。
母校である東北芸術工科大学と山形大学が提携して運行している
ボランティアバスで、毎週土曜日、学生、教職員、一般の方を乗せて
現在は牡鹿半島で活動している。
私の友人もアウトドア義捐隊で東松島市へ毎週末通っているが
まだ沿岸部は泥も瓦礫も
どうにもならない家もどうしていいかわからない家も残っている。

瓦礫 というが、かつては家だったものだ。誰かの日常だったもの。

今回の17歳の高校生から76歳まで参加者がいて
ミッションは集落の区長が住民の意向を聞いて、牡鹿半島の
ボランティアセンターへ依頼、その内容を受けたものだった。
今後、納屋を建てるために小さな破片からコンクリートの塊まで
取り除いてほしいとのことだった。
かけらを見るだけでも悲しい気持ちになる。と。

重機が入りづらい段々畑のような形をした集落。
土に混じったガラス片や瓦屋根のかけら、木片
最後の仕上げはやはりの人の手の力による。
















休憩の時間に海を見ると、海の中に駐車禁止の看板がある。
家の目の前が海ですぐ船に乗って出かけられる、漁業の町。
おそらく、看板まで船着き場だったのだと思う。

片付け作業も個々のニーズに合わせて行われてきている。
今後のために、と言われるミッションは、作業をする者にも少しだけ
未来を渡してくれる。

スマイルエンジンは作業終了後に必ず、振り返りとディスカッションがある。
その時、「受けたもの」や経験を一人で持ち帰らないため、情報共有、
そして未来を考える。
今回のテーマは「若者」について。
教職員、学生、会社員、フリーター、40代、30代、20代、、、
それぞれの立ち位置から考える「若者」
現在の社会を認識すること、そして今後の未来を考えるヒント。
私は初めて参加したが、学校や会社などある一つの枠にとらわれない
人同士のコミュニケーションの場がそこにあり、とても有機的な人のつなぎが見えた。


失われた日常をこれからどのようにみつめて、うみなおしていくか
物質的な作業と同時に思考の構築をしていく作業を
スマイルエンジンで学ばせていただいた。

川村智美

2012年1月16日月曜日

1/13 多夢多夢舎「美術の時間」

毎週金曜日に多夢多夢舎中山工房で実施している「美術の時間」。
この日は新年ということで、書き初めをテーマにしました。
書き初めと言っても使う道具は筆だけでなく、割り箸、布、絵の具、マッキーなど。
自由な素材で自由に創作してもらいました。
文字を書くことで新たに見えてくる人柄もあったり。
写真はマッチ作の「人生」。
奥が深いです。
以前から千切り絵や水彩に集中している人は、
今日も色彩鮮やかな作品を生み出していました。

あるくと事務局 高橋彩

1月15日(日)わくわくダンス事前リハーサル

来週22日に行われる宮城県障害者福祉センターでの「わくわくダンス」の、
事前リハーサルを10-BOXのbox-3で行いました。
リハーサルと言っても、皆で意見を出したり体を動かしたりしながら、
当日のプログラムを考える、というものでした。
当日のお手伝いとして、わかやなぎよしみさん、上島奈津子さん、斉藤裕亮さんと、
事務局からは、千田みかさ、川村智美、高橋彩が参加しました。
前回8日に行われた「わくわくダンス」の振り返りでわかやなぎさんがアイディアを出して下さった
「007バン!」(「せんだ、みつお、ナハナハ」の方がご存知の方が多いでしょうか?)から始まり、
・顔だけ劇場(お題を出され、それを顔だけで表現する)
・全身劇場(上記の全身版)
・だるまさんが○○(「転んだ」の部分を別のワードに置き換えて、そのポーズをする)
など、さまざまなアイディアを実践、ブラッシュアップしていきました。
各々が真剣に遊ぶこと、楽しむことを追求していたように思います。
笑いの絶えないリハーサルとなりました。
私たちがこの日感じた楽しさや交流を、
わくわくダンスの参加者さんにも伝えることができれば良いな、と思います。
あるくと事務局 高橋彩

2012年1月11日水曜日

1/10 出前プログラム

依頼者: 塩竈市藤倉保育所
日時:1/10(火)10時~11時 

参加人数:80~100名
年齢:0歳児から6歳児まで4~5クラス
補助の保育士さん:8名位

内容:ミニパフォーマンスとタップ体験WS 
案内人:おどるなつこ
ARCTスタッフ:小濵さん、高橋さん

良かったと思う点:
園長さんはじめ、保育士さんがとても協力してくださった。
小さな子どもは遠い所で行われると興味をもちにくいので、目の前でタップを見ることができるように車座の中央をステージとし、1回で覚えられて、今後もひとりで踊ってみたりできるプログラムにした。
ARCTスタッフの小濵さんと高橋さんが、おもに靴を履かせてくださり、また、一人一人の子どものチャレンジに「わおーすごいね」ととりこぼさずに反応してくださった。センターでは全体の進行に気が行きがちなので、とても助かりました。

よくなかったと思う点:
到着がギリギリだった。お茶を一杯頂いたらもう開始時刻だった。
事前に対象人数がわからなかった。わかっていたら持って行く簡易シューズの量や、靴を履かせる段取りにも工夫ができたと思う。
終了前や終了後に、対象の子どもたちの状態や背景を伺いたかった。どういう事が本当に必要なのか考えるために。

園長先生のお話
「子どもたちに本物の芸術にどんどん触れさせたいが、どこに頼めばがいいのかこれまでわからなかった。また来てほしいし、他のプログラムもどんどんやってほしい。子どもの楽しむ姿をみせてあげられるように親御さんも一緒に参加できる機会も設けたい」


子どもたちはそれぞれとっても元気に踊ってくれて、私もうれしかったです。
素敵な機会をありがとうございました。

おどるなつこ
http://odorunatsuko.net/

2012年1月10日火曜日

1/10出前部報告:塩竈市藤倉保育所へ


ダンサーのおどるなつこさんと、三角フラスコの小濱昭博さんと共に、
塩竈市にある藤倉保育所へ出前に行ってきました。
おどるなつこさんは「あしおとでつながろう!プロジェクト」
というタップダンスセッションを神奈川で開催しており、
大沢佐智子さんの紹介でARC>Tにメンバー登録をされたそうです。
今回の保育所さんからの出前依頼に対して、
「子どもたちに、足踏みをして踊る機会はいかがでしょうか?」
というお声をいただき、実施となりました。
参加者は0歳児〜5歳児までの80名。
なつこさんが子ども達の歌う「上を向いて歩こう」に合わせてタップダンスを披露したり、
手作りのタップシューズを子ども達が履いて、一緒に踊ったりと、
常に笑顔が溢れる現場でした。
タップを踏む時のカツン、カツン、という音に惹かれるものがあるのか、
1歳になりたての子がよちよち歩きでなつこさんに近づき、一緒に踊るという
微笑ましい光景も見られました。
その子は普段人見知りで、自分から知らない人には近づかないそうで、
先生方も驚かれていました。
本物の文化芸術に触れることによって、子ども達の、
普段は見られない表情や個性がふっと表れる。
そういう瞬間に出会えたとき、出前活動に来てほんとうに良かったなと感じます。
プログラムが終了した後に先生方からも、今日のような子ども達が文化芸術に触れる機会を、
震災対応という一時的な形ではなく、これからも継続していってほしい、
というお言葉をいただきました。
震災直後は、とにかく体を動かすことや、ショックを受けた心のケアといった
"今"を生きるための出前活動を行ってきましたが、
これからは"未来"を生きていく子ども達に向けて私たちが何を残せるのか、
今までより一層考えていかなくてはならないことだなと感じました。
【お知らせ】
その1:
おどるなつこさんより、Child Fund Japanが発行している
「被災後の子どものこころのケアの手引き」
という冊子をいただきました。
9.11の際にアメリカで発行されたものを日本語訳したもので、
子ども向けのWSを行う際に気をつけることや、具体例などが記述されています。
興味のある方はアルクトオフィスの掲示物スペースに置いてありますので、是非ご覧下さい。
その2:
3月10、11日に、舞台美術を大沢佐智子さん、振付をおどるなつこさんが担当した、
横浜しんさい市民ミュージカル「ト・キ・ノ・キ・ズ・ナ」
が、神奈川公会堂で上演されます。
詳しくはこちらをご覧下さい。http://kanagawakizuna.com/

高橋彩

「来て、見て、あるくと。」

年末企画として立ち上がった「来て、見て、あるくと。」企画終了から約2週間経った今、ようやく落ち着いて自身と企画の繋がりをゆっくり振り返っています。

初めて所属する劇団外の企画と人に関わること。まだまだ駆け出しの身、少なくとも不安と圧力を感じながらのスタートになりました。

チームで仕事をしていくことや、一つの仕事のやり方に四苦八苦しながらも常に企画メンバー、事務局の方々の温かいお力添え、支えがありました。

先ずは何よりも足を運んで来てくださる方々、子どもから大人までたくさんの笑顔が見たい。
担当した会場装飾、目にしたときにわくわくしたり心が温まる瞬間を作りたい。

そんな思いを一心にこの企画にぶつけていこう!、そこで初めて私と企画が繋がったような気がします。

受付周りに置いた赤ずきんちゃんやカエルの顔出しパネルは子どもがちょっと照れくさいようにしながら顔を覗かせ、お母さんが写真を撮る、それが堪らなく温かい気持ちにさせてくれました。多くの親子の小さな思い出になれたような気がして本当に嬉しかった場面でした。

初日はスタッフ側はもちろん、劇団の役者としても企画に携わることが出来ました。
震災後から被災地も周り、ずっと野外で行ってきた公演。ラストは市内の中心部、この年最後にしっかり届けよう。舞台に立ちました。
投げ銭の折り紙にあった数々のメッセージ、胸が熱くなりました。


実行委員として活動出来たことも、その上での出演もまだ成人を迎えたばかりの私がこれから表現活動をしていく為の様々な元気、ガッツ!を得ることが出来ました。

最終日、すべてが終わったときホッとしたのと同時に愛情を持って終われたことに感謝しました。

今回一緒に企画に携わり支えて下さった実行委員の皆さん事務局の皆さん、ご来場くださった皆さん、本当にありがとうございました。


この企画が原石となって次に繋がりますように。

TheatreGroup"OCT/PASS" 漣なみ

2012年1月8日日曜日

あるくとサロンに参加して

あるくと年末企画「来て、見て、あるくと。」 では、 あるくとの活動報告の場としてサロンが毎日行われました。

私が参加した3日目の1226日には、「クリエーションを通して繋がっていく」というお題で、盛岡の「架空の劇団」代表のくらもちひろゆきさん、仙台の劇団TheatreGroupOCT/PASS”主宰の石川裕人さん、東京の女優、千賀ゆう子さんの3人をゲストに迎え、トークセッションが行われました。

311日の震災時どんな経験をしていたのか、という話で、3人ともが別々の場所で、「震災」の体験をしていたということが語られました。くらもちさんは盛岡から福島へと移動する電車の中で、石川さんは仙台で、千賀さんは東京で。

そしてそれぞれの人が「震災」を受けて、どんなことを考え、どんなアクションをしてきたか、という話になりました。
くらもちさんら「架空の劇団」の人たちが、被災地である岩手県沿岸に住む人々が震災直後に命をつなぐためにどんなものを食べていたのか、ということを取り上げた作品、『瓦礫と菓子パン〜リストランテ震災篇』を作って上演したこと。石川さんが主宰するTheatreGroupOCT/PASS”が、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンからの依頼で、劇団「夢とらっく〜結〜」を結成し、「セロ弾きのゴーシュ」を岩手県〜宮城県沿岸部で巡回公演したこと、そしてその後、宮沢賢治の作品を石川さんが構成した作品「人や銀河や修羅や海胆は」を県内10か所で巡演したこと。千賀さんが大震災の状況に敗戦後を想起し、空襲下も東京にとどまった坂口安吾が書いた小説「白痴」を朗読して全国を回ったこと。

3人が「震災」という同じ言葉を使いつつも、別々の経験をしていること、そしてそれぞれの距離感で「震災」を受けとめ、いろいろなことを想像し考え、新しいものをクリエーションしているということがとても印象的でした。

震災直後、自粛や不謹慎、という言葉が多く使われ、私自身も自分の想像が及ばない経験をした人に対してどう向き合ったらいいのか分らなくなり、クリエーションをするということ自体も揺らいだような気がしました。
けれども3人の話を聞いていて、ひとりひとりの震災を全て経験することなど出来ないし、震災を受けて「正しい」身の処し方、あり方などは無いのだなということを思いました。作品を見て感じることが様々であるように、様々に感じたことから自分なりのクリエーションをしていっていいのだな、と。私にとって「震災」は整理がつけられるものではなく、混乱させられるものでもありますが、それでもいいのだ、と肯定することができた気がします。

震災から9ヶ月以上たった今、震災への記憶がだんだんと薄まっていっている印象がありますが、自分が経験した「震災」に蓋をせず、人が発する声にも耳を傾け、どんなことがあったのか、想像し続けることをやめたくないと思いました。
あるくとサロンは答えを与えてくれる場ではありませんでしたが、こうした静かな思考へと自分を向かわせてくれる場で、貴重な時間を過ごせました。


伊藤照手

2012年1月3日火曜日

ミラノつれづれ_12 あけまして

ところ変われば何とやら、大晦日の夜はあちこちの劇場で年越しの祝宴が催されます。
ここ、エルフォ=プッチーニ劇場にはいつもよりエレガントな装いの観客が来場し、
「真夏の夜の夢」公演の後に俳優、スタッフも一緒になってにぎやかに過ごしました。

恒例カウントダウンではシャンパンで乾杯し、新年を祝いました。わー西洋っぽい。











元日は劇場も世間もお休みでしたが、翌2日からはもうフツーに稽古が始まっています。











ドイツの作家クリスタ・ヴォルフ作の「カッサンドラ」に挑むのは、ミラノを代表する女優イーダ・マリネッリさん。
演出のフランチェスコ・フロンジアさんと話し合いながら、さまざまなアイディアを試しています。
まず動いてやってみよう、という感じが好ましいなあと思いました。17日に初日を迎えます。











さて、きょうでわたしはこの劇場を去ります。あっという間の3か月、本当にお世話になりました。
「今度はいつ来るの?」とみんなに言われましたけど、いやあ当分むりですよ〜…
あー初日観たかった…またみんなに会えるといいなあ。ちゃお。


伊藤みや