2012年5月2日水曜日

イラク渡航記_day2

イラク二日目。
7時から朝食ミーティングと聞いていたので、時間通りいくと誰もおらず。1時間待ってもこないので一度部屋にもどる。どうやら朝食のインフォメーションとミーティングの話を混在して聞いてしまっていた。その後11時からミーティングとの電話がきて解決。

ここで僕と一緒の第2レクチャーチームのバーバラ(ブラジル・アクター/社会学者)とトーマス(ドイツ・演出家)と対面。第一グループのサラ(クルディスタン・アクター)、ジェシカ(ウガンダ・演劇史博士/評論家)も交え、昼食をとりながらミーティング。聞き取りはある程度出来るが、こちらの細かな意思を伝えられない。手探りで対話して何となくカンファレンスの進行を理解する。後半はそれぞれのお国事情の話になり、こうなるとついていくのが厳しくなった。この英語問題はこのあとも度々出てくるが、今回ほど英語ができないことを悔やんだことはなかった。

面白いのはそれぞれの役職、肩書きが独特であること。上記した肩書は話をしていて日本でいうところの多分そうだろうという推測だ。ちなみにサラはTheaterMaker、バーバラはActress,Sociologistって言ってた。本来の意味するところ調べきれていないけど、土地によって考え方、やり方は様々だなと再確認した。ウォーキングARC>Tで東京と仙台を比較しながら、"それぞれの方法論"を議論していることを思い出した。

決定的に違うのはやはり彼らはこれを職業として生活していること。ちなみにイラクでも演劇人は非常に特別な仕事で、専門的な勉強をしなくてはなれない。故に職業として成立する。ここも日本の習い事の文化が影響してくる話だけど、どちらがいいかは個人的には悩むところ。

そのままエルビルの郊外にあるDepartmentTheater(未確認)へ。住宅街にあるこの劇場、公営だと言っていた思う。館長は役人で、芸術監督が現地の演劇人が務めているようだった。この劇場の雰囲気が素晴らしい。

客席は120席くらい。舞台は袖なし、間口4間、奥行3間といった感じ。廊下にはこれまでの公演の写真が飾られていた。建物は花壇で囲われており、お世辞にも綺麗とは言えない施設だけど、確かにそれは街の中にある、という感じがした。

セレモニーは主催者挨拶、各国のパネラーの紹介、そして現地の演劇人たちによるアラビア語でのパフォーマンス。演出はウガンダのジェシカ。ウガンダでの情勢とイラクの現状を重ね合わせた内容だった。一人の男が街の中で迷い彷徨いながら、人々と触れ合っていく、という内容だったと思う。そのあとジェシカ本人から解説があったが、作品の着想や、歴史的背景は聞き取れなかった。録音しているので帰ったら解読しよう。出演してたのは多分僕と同じ年代の若者たち。普段の生活が気になったけど、時間がなくて聞けずじまい。最終日にも会えるだろうか?

出席者は60人くらいだろうか。20カ国くらいの演劇人が集まっている。式典は一時間くらいで終了。一通り挨拶をして、その後近くのブッフェレストランで会食。

会食終了後、僕らのチームカンファレンス初日のドフォークへ移動。19時過ぎてたかな。現地のコーディネーターの車に荷物を積み込んで出発。しかしここで誤算。事前に調べておけば良かったんだけど、エルビル - ドフォークは片道4時間かかった。長距離の心構えをしていなかったので、かなり疲れた。

ドフォークのカンファレンス会場は大学。新築のかなり近代的な施設だった。何故か宿泊施設が入っている。この旅で唯一まともなホテル。ホテルの部屋に着いた時点で23時を過ぎていた。原稿をチェックして就寝。

今回のカンファレンス、講師は英語でレクチャーをし、現地通訳者がクルド語に訳す。30分のレクチャーの後ディスカッションを30分。それを3人繰り返す。僕は事前に原稿を送っており、それが英語とクルド語で訳されている。僕は日本語でレクチャーし、通訳者が原稿を読み上げるという方法だ。本来ならば、日本語・英語・クルド語を話せる通訳者を各地で用意するよう調整してくれていたのだが、最終地のスライマーニーヤ以外では見つからず、このような方法になったのだ。なのでレクチャー部分は良いのだが、問題はディスカッションであった。事前に出るであろう質問を予測して、英語での答えを用意した。

色々と準備はしていたのだが、現地に入ってから思うこともあり、この後もその土地毎に手探りを続けることになる。

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