2012年8月25日土曜日

海辺に住まう人々の物語

一年と6ヶ月が経とうとしているなか
私のまわりでは震災について話すひとはわずかになった。
流された家から唯一残った父はだいぶ前から何も話したくないようだった。
母に置いて行かれた祖母と
あの日を機会に出会ってあの日からずっと沿岸部に通っている先生と
地震を体験して、すぐに動いた近しい友人だけだ。

祖母はどんどん過去に戻っていっているが
先生も友人も「風化」について懸念している。



「津波後は旅の者に満たされる」

直後は多くの人が泥をかきに来て助けられた。
道路は直り、瓦礫は片付けられ、家の修理も始まっている。
現在はボランティアセンターのニーズも少なくなってきているが
何もできない家はあり、まだ泥出しをしている地域もある。

一方で日本中から、海外からたくさんの人が訪れた。
失われた土地を盛り上げようと様々な企画が立ち、
何かしようとする人が集まり、
「復興」市場という名前の観光地もできた。
そして記念撮影が行われている。
たくさんの人が亡くなった場所で。

震災を経てできた作品も数多くある。
表現者の中ではこの機会をチャンスとしたり挑戦としたりする人も
いるかもしれない。


震災を、喪失を、消費してはいないか
問いが持たされる。


感触の風化は一年経って急激に早まった。




私は8月30日に初日を迎えるTheaterGroup "OCT/PASS"「方丈の海」に
「写真」として参加している。

これは挑戦でも何でもない。
私は震災を機に何かを表現したいと思わなくなった。
写真は私が受けとめたものだ。けれども写真は
「編集」や「公開」されることによって、受けとめた事実が
フィクションと見られることもあると思う。
そして消費と見られることもあると思う。
見られてしまうことも受けとめることなのかもしれない。
私はあの日から日日を毎日受けとめ続けているし
これからもずっと受けとめ続けようと思っている。
町や日常は変容していくかもしれないが
自分が大事していることは変わらない。



大事なものをなくさなければ人は生きられる。

演出の石川さんは
震災に自分はどう向き合っているのかということ
自分が生きているこの地のこと
東北について学ばなくてはならない
と稽古場でおっしゃっていた。

人それぞれ様々なかたちで残っている。あの日のこと。
舞台に立つ役者たちはそれぞれのかたちを持って向き合っている。
東北という場所で生きて紡ぐ海辺の物語。


TheaterGroup "OCT/PASS"「方丈の海」2012/8/30〜9/8 せんだい演劇工房10-BOX

川村智美

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