2012年11月20日火曜日

見続けるということ


先日、一年以上ぶりにアウトドア義援隊有志の活動に参加した。
アウトドア義援隊は震災当時、倉庫での仕分けや泥かきボランティアに始まり、
その後、有志が集まり、ボランティアセンターから個々の家のニーズに応えると
いう形になった。
泥かき、家の解体、庭の掃除、お茶っこ飲み、時の流れによって変わる
生活の変化やニーズに対応して
毎週末から月に一、二度、山形を中心に大阪、関東から様々な職業の方が
集まって活動をしている。
Facebookが掲示板となり、情報や活動報告を共有している。
何のつながりもなかった者たちが泥を通じてつきあい、ごはんも食べる仲になり、
東松島や石巻の家と家族のような関係となっている。
私は昨年の初夏に参加をして以来、タイミングが合わずに、
ただ活動報告を見守っていて歯がゆかった。

1度、山形大学と東北芸術工科大学の提携プロジェクトの
スマイルエンジン山形にも参加した。
スマイルエンジン山形が掲げる「Smile Trade 10%」
ー日常の中から色々な時間を少し集めると、継続したサポートを無理なく続けていくことが可能になる。みんなの日常が、みんなの未来の日常を助けて創り上げるー
アウトドア義援隊有志の活動もまさにその通りで、
日常の時間を持ち寄り、共に活動する。内容をシェアし、対話をする。
続けてつながっていくことが寄り添いになっている。
その積み重ねが未来の日常をつくっていく。



ARC>Tは
「東日本大震災を機に失われた文化・芸術に関するひと・まち・場の再生と東北復興に向けた諸活動にアートを通じて寄与するため、また、それに必要なネットワークづくりを推進するため」
に活動が始まった。

ARC>Tのメンバーは被災状況が複雑で家族を失っている人もいれば、
ずっと何もできなくなった人も、早くに活動を始めた人いる。
ARC>Tはネットワーク体で、活動も気持ちもメンバーによって様々だ。

出前活動によって日常のニーズが顕在化し、その声に応えていく活動も増えてきた。
今、三年目に向けての話し合いを三ヶ月近く続けている。
街の復興とともに日常も変化し、もちろんメンバーの生活環境も変わっている。

設立してからずっと、メンバーの変化を観察している。
もちろん自分の生活環境も変わり、自分自身の変化についてもみつめている。

アーティストの創作や創作意欲の復帰は、
失われた文化・芸術に関するひとの再生になってきていると思う。

失われた文化・芸術に関するひとの再生の次のステップは
この場の未来をいかにつくっていくか
にある。

アーティストが生活しているこの場が今、どのような状態なのか、
住んでいる場所のことを、意識して考えられているだろうか。

「自分がどうすれば良いのか」と、まださまよっているアーティストもいる。
住んでいる場所のことを意識すること、は
おそらく「自分がどうする」ことの前に、
住んでいる場所を知ること
住んでいる場所と対話すること
が、まず先にあるだろう。
「自分がどうする」では、そこには「自分」しかいないのではないだろうか。

「何かできることはないか」という気持ちが、
場所に寄り添うことができていただろうか
と振り返る。
自分の場所を求めているだけなのではないかとさえ思った。


この場の未来をいかにつくっていくか。
これはとても長い道のりで
ARC>Tは設立時に2年と定めたが、
2年では入り口をつくるための石をどけたくらいだろう。


島田誠さんの「蝙蝠、赤信号をわたるーアート・エイド・神戸の現場からー」をようやく読む。

冒頭、

「志をもって」ということは、
現代では「闘う」ということと
同意義ではないか
今井康之

とある。


ARC>Tはネットワーク体でありながら、さまざまな可能性をつくってきた。
今のシステムは、可能性の入り口を広げる今だけのもので
これからは入り口から続く道をつくっていくシステムつくりになっていく。
ネットワーク体であり、ARC>Tとしてのビジョンは
「東日本大震災を機に失われた文化・芸術に関するひと・まち・場の再生と東北復興に向けた諸活動にアートを通じて寄与するため、また、それに必要なネットワークづくりを推進するため」
とありながら、所属するメンバーにゆだねられている。
活動も気持ちもメンバーによって様々であるが、
何を意識して考えて活動するのか。
この2年をどういう2年にして次に積み重ねるか。


日常のニーズが顕在化した今、何かできることはないか
と活動を活発にするアーティストもいれば
ネットワーク体としてつながる部分、会議やメルマガにも
無関心になっていくアーティストもいる。
支援されることに関心があるアーティストもいる。


少なからず意識は風化しているように思う。


私はARC>Tにいながら
自分が家を失い、家族を亡くした者として
ARC>Tが、この場にいるアーティストたちが、
どのように日常の未来をつくっていくのか見続けようと思っていたが
一年9ヶ月しか経っていないのに
風化した景色に折れて、闘いに半ば敗れている。

川村智美

(写真は石巻市・実家にて。津波の時に園児が2階に避難していた幼稚園と託児施設は1年8ヶ月を経て解体。今度行くときには更地になっていると思う。)

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