2013年1月10日木曜日

約1年と10ヶ月を経て

私の中のARC>Tは震災と共にありました。
私は震災で5人の家族を亡くして、亡くなった家族の残された部屋を
片付けながら、「舞台人会議」のUstreamを見て、
このままではだめだな、と思い
4月にまだ家族もみつかっていないのに会議に出てしまいました。
何かしなくてはと集まったときに私も力になりたいと思ったのです。
そうやって何らかで関わることは自分のためになりました。
何もしないでいたらだめになる、というのと
家が沿岸部で家族を亡くした者として、
この震災時に何かをするために発足した集合体の
視点になりたいとも思いました。
それが始まりです。


昨年から三ヶ月くらい来年度に向けての話し合いをしています。
ARC>Tは発足当時活動を二年は行うとしてきました。
ニーズを受けて活動するとしながら、町とともに変容するニーズや
仙台で被災しながら活動しているアーティストの生活状況の変容と
共にあり、2011年の4月に2013年の今の姿は予測できなかったことでしょう。

設立二年は活動するとして、来年度のことを話し合っている今、
私感では、
表向きの見え方と自然溶解もあり得る組織の性質と内部の事情と
分離している状況だと思っています。
私に見えているARC>Tも一部です。
ニーズの変容と
この二年でいろんな形を見せたARC>Tで
いろんな形でメンバーになった方々と
個々の風化もふまえて、
このARC>Tという震災後の現象が
この土地にどのような礎を築いたか。

この震災で顕在化した日常のニーズがあります。
また、この震災で表現者たちは
この土地について、この土地における表現活動について
学校や子どもたちや障がい者や高齢者や自分の家族について
向き合い、考える時間を得ました。

この現象がもたらした問いや活動は発展し、途上にあります。
私も少し第三者の目をもって、検証し、しかと考えたいと思います。
ということで、(というつながりはおかしかもしれませんが)
私は昨年末をもってARC>T事務局を退局させていただきました。
約一年と10ヶ月お世話になりました。
ありがとうございます。
志半ばではないのか、と言われることもあるかもしれません。

変容なのか風化なのか自然溶解の一つなのか。
ただ、私は戻らないものを持っています。
戻らないものを持ちながら、震災から立ち上がる姿を見ることができます。
私はこれからその目を大事にしていきたいと思います。


川村智美

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